「1万円札は諭吉先生でないと日本経済に大損失」慶應OBOGが恨み節

7月3日に新しい紙幣が発行され、1万円札の肖像画が福澤諭吉から渋沢栄一に交代されます。かつて聖徳太子から福澤諭吉に変わってから40年以上が経過しました。ジャーナリストの田中幾太郎さんは、「福澤先生の1万円札が永遠に続くと思っていた慶應OBOGは多く、新紙幣への切り替えは日本経済にとって損失だと語る塾生や塾員もいる」と述べています。

“純金製”福澤1万円札の狙い

7月3日、紙幣の切り替えに伴い、各地で関連イベントが開催されています。群馬県高崎市の高崎高島屋では、新1万円札の肖像に選ばれた実業家・渋沢栄一の企画展が実施されています。同地には、若き日の渋沢が尊王攘夷派として乗っ取りを企てた高崎城（現高崎城址公園）がありました。計画は未遂に終わりましたが、今回はその渋沢が客集めに一役買っています。百貨店では渋沢が愛用した山高帽の復刻版が8万2500円で販売されています。

一方、旧紙幣に関連するイベントも行われています。大丸松坂屋百貨店は松坂屋上野店で「ありがとう諭吉セール」を開催し、食品、衣料、宝飾品などを1万円均一で販売しました。その中で、ひときわ目を引いたのが福澤諭吉の肖像が描かれた純金製の「壱万円札」です。価格100万円のこの商品は百貨店側が10点用意しましたが、瞬く間に完売しました。

と語るのは流通業界に詳しいデスク。その目的とは、福澤諭吉が創設した慶應義塾人脈への配慮だといいます。

大丸松坂屋百貨店を傘下に持つJ.フロントリテイリングでは、今春トップの交代がありました。大丸松坂屋百貨店で社長を務めたあと、J.フロントリテイリングの社長に就いていた好本達也氏(68)が3月に退任し、代わって社長に就任したのは48歳の小野圭一氏。同社最年少のトップが誕生しました。同時に大丸松坂屋百貨店の社長に新たに就任したのも49歳の宗森耕二氏で、同グループは大幅に若返りました。

「諭吉教」とは？

福澤諭吉は、塾生（慶應義塾の現役生）や塾員（慶應義塾大学の卒業生）にとって特別な存在です。「まさに神」と称するのは、慶應義塾大学の文系教授です。彼は、慶應義塾幼稚舎から始まり、半世紀にわたって慶應に身を置いてきた人物です。「福澤先生以外は、塾生も塾員も皆平等です。教授も例外ではありません」と話します。

授業の休みを知らせる際には、教務の掲示板に「○○君休講」と書かれた紙が貼られます。教職員に対しても“君”付けで呼ぶのが慶應の伝統です。「実際に学生からそう呼ばれたことはありませんが、その姿勢は慶應にいる者にとって基本的なものです」とその教授は説明します。

慶應は福澤ひとりを“先生”としてスタートしました。その後、先生は増えていきましたが、すべて福澤の門下生であり弟子です。次の世代の門下生にも福澤の教えが受け継がれていきます。どこまでいっても、真の先生は福澤だけという考え方です。「“諭吉教”的な宗教のような側面があり、慶應に長くいるほど、その感覚が染みついてきます」と文系教授は言います。

諭吉教の影響は家族にまで及びます。私立小学校で最難関とされる幼稚舎の入試では、合格に最も重要とされるのが願書です。記入するために保護者は福澤の著書を熟読しておく必要があります。願書には「お子様を育てるにあたって『福翁自伝』を読んで感じたことをお書きください」という設問があるからです。

と幼児教室経営者は話します。子どもの幼稚舎合格を目指す親たちは、福澤の考え方が凝縮されている『福翁自伝』を何度も読み直し、家族ぐるみで諭吉教の信者となっていくのです。

「福澤諭吉は無難な人」の位置づけ

諭吉教の熱狂的な信者たちは、今回の紙幣切り替えに対して強い怒りを抱いています。「福澤先生の1万円札が永遠に続くような気がしていた」という言葉（前出・文系教授）は、多くの塾員たちの思いを代弁しています。昨夏、慶應義塾高校が107年ぶりに優勝した全国高校野球決勝では、チームへの応援とは別に「1万円札を変えるな」というシュプレヒコールが甲子園に巻き起こりました。

「福澤1万円札は40年も続いたのに、まだ欲しがるとは図々しい」と塾員たちを批判するのは、早稲田大学の同窓組織「稲門会」を取りまとめる校友会の代議員です。その言葉には羨望と嫉妬が入り混じっています。早稲田の創設者・大隈重信は、過去に紙幣の肖像に起用されたことがないのです。旧大蔵省OBによると、大隈が候補に挙がったことは一度もないといいます。「賛否が分かれる政治家は避ける」方針で、首相経験者の大隈はリストから除外されてきました。「今後、評価が固まれば、大隈の起用もあるかもしれませんが、その頃には紙幣自体が流通しなくなっている可能性が高い」とこの旧大蔵省OBは予想しています。

1946年5月、連合国最高司令部(GHQ)は日本政府に対し、紙幣や切手の図柄について通達を出しました。「軍国主義や超国家主義の人物を禁じる」というものでした。そこで政府が紙幣の肖像候補として挙げたのは20人。戦前から起用されていた聖徳太子、貝原益軒、二宮尊徳、野口英世、夏目漱石、光明皇后、勝海舟らに加え、福澤諭吉と渋沢栄一の名前もこの時すでにリストアップされていました。

福澤諭吉も、世間からすると塾員たちが思う「特別な存在」というよりは「無難な人」でした。1万円札に初登場した時も、それほどの盛り上がりはありませんでした。

慶應関係者の間だけお祭り騒ぎ

1981年7月7日正午、大蔵省記者クラブで渡辺美智雄大蔵大臣（当時）が紙幣切り替え（1984年11月実施）を急遽発表しました。

と、大蔵担当だった元記者は当時を振り返ります。なんとも締まらない会見でした。

そうした巷の反応に逆行するように、慶應関係者の間では、ミッチーの発表後しばらくお祭り騒ぎが続きました。「福澤先生の新札起用を祝うパーティーや飲み会が次々に開かれ、都内のあちこちで万歳三唱の声が響いた」と、慶應同窓会の中核組織「連合三田会」の役員は話します。

次に紙幣切り替えが発表されたのは2002年8月（2004年11月実施）。5000円札の新渡戸稲造と1000円札の夏目漱石は“更迭”されたのに対し、なぜか1万円札の福澤諭吉だけは引き続き使用されることになりました。この決定を下したのは塩川正十郎財務大臣（当時）です。

と、前出の元記者は語ります。

そして今回の切り替えです。戦後すぐに渋沢栄一の名前が候補として挙がっていたので、福澤からの切り替えが不思議ではないのですが、やはり慶應関係者からは不満の声しか上がってきません。「日本経済にとってはマイナスにしかならない」と憤るのは前出の連合三田会役員です。

「三田会には現在、40万人近くの会員がいて、国内外、有力企業に根を張っている。1万円札から福澤先生が消えることによる会員たちの喪失感を考えたら、その経済損失は計り知れない。一方、渋沢さんにどれだけのシンパがいるというのか。切り替えを決定した麻生太郎さんはあとで後悔することになると思いますよ」と同役員は言います。

慶應OB・OGたちに新札を歓迎するムードは見られません。彼らの恨みはしばらく続きそうです。心機一転の新札に沸きそうな世の中ですが、諭吉から栄一への切り替えが気に食わない三田会を含む層が新札での支払いを拒むことで、キャッシュレス化に拍車がかかることもありうるかもしれません。

ネットの反応は？

編集後記